福沢桃介は、明治元年(1868年)6月25日埼玉県吉見町で生まれ、幼少の頃埼玉県川越市に一家で移住しています。慶応義塾に入塾したのが縁で、天性の明敏かつ努力家の桃介は福沢諭吉に見込まれ養子となり、アメリカに留学しています。明治40年代から名古屋を中心とする実業界で活躍し、幾多の事業を手掛けています。電気事業に関係するようになったのは明治41年からで、木曽川水力発電の開発に特に情熱を注ぎました。大正8年に賤母発電所を築き、大正12年の読書発電所竢工の頃が彼の絶頂期だと言えます。電力王とも呼ばれ、日本近代産業の振興に大きな足跡を残し、昭和13年(1938年)2月15日に69才の生涯を閉じました。
川上貞奴は東京に生まれ、長ずるに及んで芸姑となり、明治顕官らの贔屓を受けましたが、明治23年に川上音二郎と結婚し、以後、新派演劇の発展に尽力しました。日本で最初の女優とうたわれました。 桃介は、木曽川水系に多くの発電所を建設しましたが、その現地の宿舎として、風光明媚な三留野の地に別荘をもうけ現場の指導にあたりました。その際、しばしば貞奴を伴って、避暑のために長期逗留しました。貞奴が三留野駅(現南木曽駅)に降り立つたびに、高名な女優を一目見ようと、黒山の人だかりだったといいます。 電力王桃介と女優貞奴のロマンスは、当時地元の人々の間でも注目の的であったことがうかがわれます。
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