江戸と京都を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道ともよばれていました。中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目の宿場となる妻籠宿は、中山道と伊那道が交差する交通の要衝として古くからにぎわいをみせていました。
時代が変わり明治になり、鉄道や道路が新たに作られると、宿場としての機能を失った妻籠宿は衰退の一途をたどりました。やがて昭和になり高度経済成長の中、江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みが見直され、ここに全国に先駆けて町並保存運動が起こりました。 妻籠の人たちは町並みを守るために家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」という三原則をつくり、ここで生活しながら江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えています。
妻籠宿保存地区の資料
| 名称 |
妻籠宿保存地区 |
| 種別 |
国選定 重要伝統的建造物群 |
| 選定年月日 |
昭和51年9月4日 |
| 保存地区面積 |
1,245.4ha |
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